大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)2131号 判決
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〔判決理由〕二、休業損害
<証拠>によれば、原告は本件事故当時東大阪自動車教習所に技能指導員として勤務し、給与および賞与を合せせて昭和四二年度は金六九四、七一九円の収入を得ていたが、本件事故による受傷のため事故当日より欠勤し、昭和四三年一二月二六日に同所を退職し、その間および退職後昭和四五年三月東洋住宅に勤務するまで収入を得られなかつた事実が認められる。
そして、原告は前記第二、認定のとおり昭和四四年一一月五日までの間に入院(合計三二三日)、通院(昭和四三年九月一六日より昭和四四年六月一日まで、および同月一六日より同年七月三一日まで)をくり返していたものであることが認められる。
ところで、本件の如く追突による頸椎挫傷ないし捻挫(いわゆるむちうち症)の場合には、通常は長くても六ケ月程度の安静と治療によつて軽快する例の多いことが経験則上明らかであるところ、右にみた如く、原告の場合は、事故直後より七ケ月余入院した後、九ケ月近く通院し、また半月入院した後一ケ月半通院し、更に三ケ月余入院したという異常に長い治療経過を辿り休業を継続していたものである。そして、第二、認定のように、右の入・通院が本件事故と全く因果関係がないものとはいえないとしても、昭和四四年六月二日より同月一六日までは国立大阪病院の精神科に入院し、同病院での診断(乙第四号証)によれば交通事故後障害による災害神経症、ノイローゼ症状があつたものとされているので、従つて原告の事故後の目まい、嘔吐などの多彩な愁訴は本件事故前から存した情緒的な不安定が本件事故による身体的不安を契機として露呈した心因反応に基づくものではないかと疑いも強く、また、通院期間中も通院実日数は極めて少い(前記のとおり、乙第二号証の一、第三号証の一によれば今里フジタ病院へは昭和四三年九月一六日より昭和四四年六月一六日まで四七回、また、甲第一四号証の一ないし八および同第三号証の四四ないし七八によれば大原西田辺病院へは同年二五日より同年一一月二三日まで四〇回程度、湖崎眼科医院および浜田病院は数回を出でない)ことからして、当初の通院期間を除き通院期間中全く稼働出来なかつたものと認めることも困難である。以上の点を綜合して判断すれば、原告の右休業期間中、原告が本件事故のため休業を余儀なくされた被告に賠償を求めうるものとしての休業期間は事故後一年間と認めるを相当とし、その余は本件事故と相当因果関係あるものと認めることはできない。
そうならば、原告の休業損害は金六九四、七一九円と算定される。
三、逸失利益
原告は本件事故による受傷のため後遺症が残りその程度は労働者災害補償保険後遺障害級別一四級該当と主張するが、原告の全立証および本件全証拠によるも原告が主張の如き後遺症を残していると認めるに足りないので、後遺症の存することを前提とする原告の逸失利益の主張はその余の点を判断するまでもなく失当である。
四、慰藉料
前記第二、認定の傷害の部位、程度、入・通院期間(但し第三の二認定のとおり入・通院期間についてはそのままを慰藉料算定の基礎とはしない)、その他本件に顕れた一切の事情を考慮して、慰藉料を金九〇〇、〇〇〇円とするを相当と認める。 (吉崎直弥)